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甘棠院

鎌倉にある臨済宗円覚寺派に属している寺院で山号を永安山と称し、本尊は釈迦如来です。境内には足利政氏の墓があり、高さ113cmの五輪塔には「享禄四年(一五三一」七月十八日甘棠院殿吉山道長禅定門」と刻まれていて、館跡と共に埼玉県指定史跡になっています。総門を入ると中門前面から院の東西100m、南北に250mの空堀がめぐらされ、北側には土塁も築かれています。寺社には珍しく堀があるのは、武家の邸宅だったため敵から身を守る必要があったと考えられています。

 
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鷲宮神社

鷲宮神社は、出雲族の草創に係る関東最古の大社、お酉様の本社と言われており、天穂日命(アメノホヒノミコト)、武夷鳥名(タケヒナトリノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)を祭神としています。境内には、源義家が馬をつないで参拝したと言われる「八幡太郎駒繋ぎの桜」や多くの末社があります。神社に伝わる「鷲宮催馬楽神楽」は、関東神楽の源流と言われ、江戸の里神楽の基礎を形成し、国の重要無形民俗文化財に指定されています。季節の花や行事をイラストにした月ごとの御朱印も頒布しています。
 
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八坂神社

武の神としてあがめられる素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られています。
近隣の人々や船主、旅人たちをお守りする神社です。昔、利根川の大洪水の際に亀と鯉に囲まれた神輿が流れていて今の場所へ遷座されたともいわれており、拝殿前には狛犬ならぬ狛鯉があり、鯉の像が浮かぶ波間にも亀が彫られています。
躍動感のある鯉とかわいらしい亀が描かれている御朱印が人気です。

 
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菖蒲神社

主祭神の稲田姫命(イナダヒメノミコト)は良縁の神様です。袋田明神社と号していたものを菖蒲城主佐々木氏が中世末期に再建しました。樹齢300年超の「菖蒲のフジ」は県指定天然記念物となっています。又、久喜市指定有形文化財の「菖蒲神社の絵馬」があります。1788年に奉納された「百人一首」は3枚の絵馬で構成され、百首の和歌と作者を描いた大変珍しいものです。100人の奉納者が一首ずつで「百人一首」と洒落ていて、江戸中期以降、見沼通船(川船輸送)で栄えた当時を現す重要な文化財です。受験やスポーツ祈願には菖蒲の名前にちなんだ「勝負守」のお守りも人気です。黒地のお守り袋に金糸刺繍と虎のデザインで勇ましく、勝負事の願掛けにおすすめです。
 
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神明神社 社叢

主祭神は天照大皇神(アマテラスオオミカミ)、豊宇気毘売神(トヨウケビノカミ)です。伊勢神宮を本社としていて本殿は神明造りで建てられています。参道林と境内林からなる社叢は約550メートル、1.74ヘクタールの面積を誇り、埼玉県天然記念物になっています。参道沿いには庚申塔があり「見ざる・聞かざる・言わざる」のかわいらしい三猿が彫られています。社叢の静かな森の中を歩くだけですがすがしい気持ちになります。


 
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栢間古墳群 天王山塚

主墳の天王山塚は元荒川の左岸栢間地区に分布する栢間古墳群の中心をなす前方後円墳です。石室に使われたとみられる角閃石安山岩という石の存在から古墳時代後期(六世紀後半)のものと考えられています。栢間古墳群は九基からなり、埼玉県の重要遺跡に選定されています。その中の一基、打出塚古墳では、緑沼片岩と砂岩を用いた横穴石室が確認されています。
 
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見沼代用水

見沼代用水は築造から約300年になります。コンクリート水路へと姿を変えていますが、現在も開削当時と同じ路線で埼玉県東部の大地を潤しています。田園風景と調和した水辺空間、萩の径(遊歩道)や桜並木が整備され、地域の重要な環境資源となっています。世界かんがい施設遺産にも登録されています。
 


 

静御前墓所

源義経の愛妾であった白拍子(男装の舞妓)の静御前。奥州へ逃れた義経の後を追いましたが、義経の死を知り、悲しみのあまり病に伏し、この地で終焉を迎えたという逸話が残っています。また、境内には静桜があり、春には美しい花がみられます。これは静御前が義経を悼み植樹した桜の原木から接ぎ木したものだといわれています。毎年、静御前の命日の9月15日には静御前墓前祭が執り行われます。
 
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栗橋関所址碑

栗橋関所は日光街道の利根川を超す房川渡に設置されたことから「房川渡中田関所」と呼ばれました。寛永元年(1624年)に番氏4人が置かれ、明治2年(1869年)に廃止されるまで約250年間続きました。「栗橋関所址」碑は、大正13年(1924年)に利根川橋の開通を記念し、旧番士3家、本陣、宿名主の発起で近在の有志により、徳川家達の書で建碑されました。栗橋関跡として埼玉県の旧跡に指定されています。
 
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菖蒲城跡

菖蒲城は康正2年(1456)に古河公方足利成氏の家臣である金田則綱が築いたとされています。城の完成が5月5日の端午の節供であったことから、菖蒲城と呼び、この地域一帯も菖蒲と呼ぶようになったといわれています。現在は菖蒲城趾あやめ園として約16000株のあやめが植栽されています。見頃は5月下旬~6月中旬となっており、あやめの名所として親しまれています。

 
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郷土資料館

国指定重要無形民俗文化財・鷲宮催馬楽神楽の紹介、下野国小山城主で同国の守護職であった小山義政が鷲宮神社へ奉納した太刀(国指定重要文化財)の展示。(※東京国立博物館に寄託されているため、展示資料は写です。)栗橋関所、円空仏、
遷善館(郷学)や久喜市の偉人である本多静六、中島撫山などの功績が紹介されています。
テーマ・期間を定め企画展や特別展の開催もあります。
 
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本多静六記念館

日本の公園の父と呼ばれる本多静六は久喜市菖蒲町河原井の出身です。造林学、造園学の基礎を築き、全国各地の公園設計や地域発展策に携わりました。明治36年(1903)開園の日比谷公園の設計をはじめ約35年間にわたり国立公園の創設などにも尽力しました。明治神宮の森には、郷里の河原井からおくられたクスノキが現在も元気に育っています。

 
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吉田家水塚

吉田家水塚は大谷石を積んだ高さ約2mの塚の上に2棟の蔵が並んでいます。蔵は入口に近い方から、大蔵(おおくら)、向こう蔵(むこうぐら)と呼ばれています。水塚の蔵内は公開されており、当時の様子をうかがえ知ることのできる展示がされています。水塚=洪水から家族や家財道具などを守るため、敷地内に盛り土をして築いた高台や建物のことで、主に利根川や荒川流域で見られるもの。
 
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